修学旅行の案内が届いた。
官制ハガキにワープロで印字された、無味乾燥な招待状だった。「修学旅行のご案内」というタイトルだけが丸ゴシックで印字されているのが一層安っぽく、その下に日時や場所、費用などが並んでいた。
同窓会の間違いではないかと思ってよくよく見直してみたが、やはり「修学旅行」としか書いていなかった。費用も同窓会にしては高すぎたし、日程も二泊三日で組んであった。
高三の時のクラスにはこういう手の込んだ冗談の好きな子たちがいて、きっとその仕業だろうと思った。ただ卒業からもう七年近くが経ち、親元を遠く離れて小さな地方都市で暮らすわたしの連絡先知っているのは不思議だった。格別彼らと親しかったわけでもないわたしの所にまで送りつけてくるということは、きっとクラス全員に郵送しているのだろうし、もしかするとこれは同窓会に先立った余興で、何日かすると本物の案内状が送られてくるのかもしれない、と思った。
翌日もいつもと変わらずアルバイト先の喫茶店に向かった。
喫茶店と言っても半分定食屋のようなもので、昼のカレーやピラフなどが主なメニューになっている。大学の近くにあるのに学生はほとんど立ち寄らない。値段からいって学生食堂とは勝負にならないし、メニューも貧困なのだろう。「豆腐ピラフ」というのが変わっていたが、人気はない。人混みを避けたい年輩の大学職員が、同じ時間に同じ席で、いつものピラフを頼んでスポーツ新聞を読んでいく。かといって、常連さんとの触れあいがあるかというと、まるでない。注文を聞いて料理やコーヒーを運ぶうちに、淡々と時間が過ぎていく。
客との会話がないのは、店長が無愛想なせいもある。四十を過ぎているが独り身で、脱サラしてバイク屋を始めたけれどすぐに廃業、前のオーナーから引き継いで喫茶店をやっているらしい。およそ客商売に向いているとは言えず、客が来ても挨拶もろくにしないし、日に灼けた顔に笑顔を浮かべることもない。おまけに料理も不味い。
ただ愛想がないのはわたしも一緒で、人並みに挨拶こそするけれど、一日中人形のようにコーヒーを運んでいるだけだ。人と話すのが億劫で、面接に行くのも面倒だったので、この街にきて最初に張り紙を見た喫茶店で働き続けている。
店のつくり自体は白壁に紺のアクセントカラーが使われた洒落た雰囲気なのに、若い人がまるで寄り付かないのは、きっとこの陰鬱とした雰囲気のせいなのだろう。昼の時間を過ぎると営業マンが時間を潰しているだけになるので、店長は掃除を始める。掃除だけはマメで、ほとんど一日中店を磨いている。店の片隅には趣味の小型バイクが置き物のように展示してあり、これも埃一つつかないほどぴかぴかにされている。
二人きりになっても、世間話になることはほとんどない。そんな店長が会話らしい会話をする唯一の相手が、高梨くんというバイク修理工だ。高梨くんは二十五六ほどの長身の青年で、趣味のモトクロスが高じて修理工になったらしく、いつも青いツナギに身を固めて油で汚れている。配送の途中らしい午後三時くらいにひょっこり顔を出すことが多い。
高梨くんが店にくると、店長はアイスコーヒーを二つ入れ、窓際のテーブルに陣取ってしまう。それからバイク談義に花を咲かせているのだが、商売が絡んでいるようで、走行距離とかメーターとかいった言葉が会話の端々に聞こえる。懲役のようにピラフを作っている時とは違い、細い目の奥に企むような光をたぎらせている。
そんな時に、普段は仕事以外で話し掛けてもこない店長が、わたしを横に座らせることがある。古女房を呼ぶような横柄な態度で手招きし、高梨くんの反対側の椅子を引いて示す。腰掛けても会話に加われるわけもなく、ただ横で膝を揃えているだけだ。高梨くんは眼中にすらない様子で、。店長も話を振る訳ではない。相変わらず二人でバイクの話をしながら、ただこっそりと、わたしの身体に手を這わせる。
テーブルの下で触れてくるので、高梨くんの目からはそうとわからない。痴漢のような真似事をして楽しんでいるのかと思えば、店長には欲情している様子もない。わたしに性的関心を持ったり恋愛感情があるのでもないようで、高梨くんがいる時以外、そんな行為に及んだこともない。ただ儀式のように、闇売買の話をしながら人の太股に手を這わせるのだ。
不快に感じるのが普通のかもしれないが、それほど嫌に思ったこともない。快感があるわけではないが、コーヒーを運んだり注文を聞いたりするのと大して変わらない気がする。それに痴漢ごっこのような真似をされている時は、妙に頭が冴える。忘れかけていた何かを思い出しそうになり、触られながら窓の外に視線を泳がせながら空想に耽っていたりする。
その日は突然、村井くんのことを思い出した。村井くんは高校三年の時の同級生で、スポーツには興味がなくテクノ系のクラブミュージックに夢中で、形だけ美術部に籍を置いていた。くくれるくらいに髪を伸ばしていたが、むさ苦しい感じでも女々しくもなかった。暗い感じかというと全然そうではなく、友達はとても多かった。根はシャイなのだろうが、聞き上手で気がきき、話題の合わない場にも上手く馴染める子だった。側から見るととても波長の合いそうにないサッカー部員らの輪にも、自然に溶け込んでいた。グループの中に一人混じると、緩衝剤になるタイプだった。
なぜ彼のことを考え付いたのだろう、と思いを巡らせると、あの案内状が結びついた。村井くんは人の中心になるタイプでは決してなかったが、誰かが冗談で口にしたちょっとした思いつきを形にしてしまう妙な実行力があった。当時の担任の国語教師が出世して校長になったら、という話題が盛り上がった時、一週間ほどで彼の肖像画を描いてきたことがある。玄関脇に歴代校長の肖像画が掲げている場所があったのだが、そこに並べられるようにサイズもタッチも真似て描いてきたのだ。
そんな村井くんのことだから、未だに子供っぽさの抜けない誰かの発案を、あんな案内状で形にしたのかもしれなかった。もし彼のやったことなら、まだ先があるに違いない。「修学旅行」に参加したらしたで、きっとそれらしい仕掛けが用意されているのだ。そう思うと、途端にハガキのことが気になって仕方がなくなってきた。
わたしは高校当時、村井くんとはほとんど会話したことがない。村井くん自身は話しやすい雰囲気だったが、彼の周りにいる運動部の子たちは粗野で乱暴で、とても立ち入れるような雰囲気ではなかった。ふと、今会えば話ができるのではないか、と考えた。別段話す話題も共通点もないのだけれど、村井くんに会えば何かがわかるかもしれない、と思った。
帰宅してハガキを確かめて驚いた。日時のところに翌日の日付けが記載されていたのだ。これはいよいよ、ただの冗談だと思うべきなのだろうが、そんなぎりぎりに投函されたのにも理由があるような気がした。旅行の目的地には、高校のある街ともこの地方都市とも違う馴染みのない土地が記されていた。本当に高校の修学旅行だとしたら、もう少し遠方まで足を伸ばしそうなものだが、地元からは電車で一時間ほどの場所だった。ただこの街からそこに翌日に辿り着こうとしたら、すぐにでも出発する必要があった。時計に目をやった。
翌日はアルバイトが休みだった。考えてみると、親元を離れてから旅行らしい旅行など一度もしたことがない。ウェイトレスを始めてからは、来る日も来る日もコーヒーやピラフを運ぶだけだった。騙されたとしたら一人旅だと思えばいい、と思った。
着のみ着のままで部屋を出た。まだバスのある時間だった。この街の夜は早く、日が暮れてから駅に向かうバスは乗客もまばらだった。若い男性客が二人、それからカートを引いた老婆が一人載っているだけだった。遠い星に向かう宇宙船のようだった。
駅に着くと、さすがに仕事帰りの人々が行き交っていた。ただ、窓口業務は早くに閉まるらしく、もう片付けに入っている最中だった。飛び込むようにして駆け込んだので、女性職員は少し不審げだった。ヘアピンで長い前髪を止めた、神経質そうな職員だった。
寝台列車の席がまだあるらしかったが、職員は何かを逡巡しているような様子だった。今晩中に出発することを告げると、空いている席をいくつかリストアップしてくれた。適当に一つ選んだ。職員は別の席を勧めたそうだったが、結局何も言わずに発券してくれた。ただ、切符を渡すのにも、気がすすまないような手つきだった。
寝台列車などに乗るのは始めてのことだった。意外なことに、乗客は少なくなかった。団体客が乗っていて、列車の通路は汗臭い学生でごったがえしていた。体育会系のクラブの遠征か何かのようだった。まだ列車が動き出してもいないのに、宴を催しているような部屋もあった。通路で談笑している学生も多く、その横をすり抜けるようにして席を探した。皆、アメリカンフットボールの防具を付けたように体躯が良く、揃いのTシャツを着ていた。一度だけ痩せ細った老婆とすれ違ったが、憂鬱そうに下を向いていたまま歩いていて、わたしのことも学生のことも眼中にない様子だった。
番号を頼りに見つけたわたしの席は、そんな団体の直中にぽっかりとできた空席だった。扉をあけると、むっと汗と酒の匂いがした。振動と共に列車が発進した。中に入ると、部屋に四つ並んだ寝台のうち三つは、どれもゴリラのようなスポーツマンのものだった。
女性職員が迷っていたのはこのせいだったのかもしれない、と思ったが、別段気にもならなかった。片側の二段ベッドでは既に大男が寝息をたてていて、わたしの寝台は反対側の上段だった。下の寝台はシーツも綺麗なままで、大きなスポーツバッグが無造作に投げ出されていた。ベッドの主は大方どこかの部屋で酒宴の最中なのだろう。
寝台に乗ってしまったら、もう何もすることがなかった。着替えも持たずに飛び出してしまったことが少し後悔された。シャツが汗で貼り付いて気持ちが悪かったのだ。
ふと見ると、わたしの寝台の上にシーツと一緒にジャージが一つ畳んで置いてあった。広げてみると、どう見ても大男が着るものではなく、女子用のジャージのようで、胸のところに「みやびちゃん」という刺繍がしてあった。ジャージの主の名前にしては 、自分の名前を「ちゃん」付けで刺繍するのは奇妙だし、チームかイベントの名前なのかもしれなかった。旅館の浴衣のように置いてあったので、勝手に着替えてパジャマ代わりにしてしまうことにした。
一応男たちが寝ているのを確かめて、シャツのボタンを外した。夜景の流れる車窓に白く裸身が映り、どことなく卑猥だった。素早くジッパーを上げると寝台に上り、シーツの中でジーンズを脱いだ。秘密めいた開放感だった。
高校の時のことを考えようとして、ふとほとんど思いでがないのに気付いた。色々な出来事があっただろうに、今の自分からすっかり切り離されてしまっているようだった。穴が空いたようで、冷たい気持ちがした。思い出そうとしているうちに何かを閃いたのだけれど、列車の振動が心地よく、そのまま睡魔に引きずり込まれてしまった。
目覚めると、夜が開けていた。朝焼けの光が眩しかった。列車の中で目を覚ますのは新鮮な感覚だった。反対側の学生はまだ寝息を立てていて、上段の男は大きく大の字になってシーツを床に蹴落としていた。下の寝台を覗き込むと、ベッドの主はとうとう朝まで帰っていなかった。
シーツの中でもぞもぞと着替えると、梯子をおりて通路に出てみた。昨夜とはうってかわって、ただレールの継ぎ目の音だけが静かに響いていた。田圃や畑だけが続く風景が延々と流れていた。トイレに行って戻ってくると、一人の外国人青年がヘッドホンをしながら通路で風景を眺めていた。わたしを見ると、笑みを浮かべて英語で何か話し掛けてきた。
聞き返すと「旅行ですか」といった内容で、わたしは片言でイエスと答えた。青年はスペイン人で、つい最近まで徴兵でNATO軍に配属されていて、除隊して東洋に旅行に来ているとのことだった。ヘッドホンで聞いていた音楽はYMOだった。話している最中に、スポーツマンの一人がわたしたちの背後を通り抜けた。二日酔いらしく目をショボつかせていて、大男が小さくなっていた。
寝台に戻ると、目的地が近いことを告げるアナウンスが流れた。荷物らしい荷物もなかったので、またすぐに通路に出た。大の字の男はアナウンスにも気付かず寝息をたてたままだった。
駅に着き、列車を降りた。大勢の眠そうなスポーツマンたちが、重そうな荷物を肩に食い込ませながら黙って歩いていた。ジャングルを行軍させられている兵隊のようだった。ふと、昨夜すれちがった老婆が見えた。相変わらず憂鬱そうな表情で、変わらない歩度でカートを引いていた。
地方都市の窓口になる駅は、どこも似たような表情だ。わたしの住んでいる街と、大して変わらないようにも見えた。ただビルの向こうに見える稜線が新しく、また観光客が多いのが違っていた。歴史都市であることを売りにしているのだ。
とりあえず朝食を取ろうと、駅ビルの中の店を探した。ターミナル駅のせいか、早い時間から空いている店が多かった。あまりお金がなく、安く済ませたかったが、駅ビルの中はどこも割高だった。諦めてビルの外に出て歩いていると、観光客向けの土産物屋があった。
地元の名菓や、安っぽいキーホルダーが並べてあって、女子中学生らしい客が数人歓声を上げていた。中に進むと、土産とは関係のないファッション雑貨の店なども入っていて、観光客相手の小さなモールになっているようだった。その奥に食堂があり、既に営業していた。
いかにも安かろう悪かろうという雰囲気がしたが、入ってみることにした。入り口に置かれた「もちトマトうどん」という看板も気になった。冷麺のようなものを想像した。
長細いテーブルが二つ並んでいて、対面して席につくような配置になっていた。予約の団体客相手の食堂だった。席に着くと、「もちトマトうどん」を注文した。
わたしの他には、数人の中学生か高校生らしい女生徒、それから教師風の男性が一人食事をしていた。団体にしては変な時間の朝食で、標準から外れる理由があるのかもしれなかった。三人並んだ女生徒は携帯電話を手に談笑していて、教師風の男は茶封筒から書類を出して目を通しながら、丼物をかきこんでいた。注文を待っている間に向かいの席に三十くらいの女性が座り、「もちトマトうどん」を頼んだ。紺のスーツに身を固めていて、教師ではなく仕事に出る途中の会社員に見えた。
「もちトマトうどん」は向かいの女性と一緒に運ばれてきた。ただの鍋焼きうどんにしか見えず、もちもトマトも入っていなかった。しかも出し汁がほとんどなく、蓋を開けてみると鍋の底に死体のようにうどんが貼り付いていた。
前の女性を見ると、テーブルの上に醤油やソースなどと一緒に並んだ水差しをとって、うどんにかけていた。出し汁のようなものが入っていて、そうして食べるのがこの地方の特色なのかもしれなかった。地元とそんなに離れていないのに、こんな食べ物は見たこともなかった。女性は当たり前のように黙々とうどんをかきこみながら、手帳のページをめくっている。わたしも水差しをとって、うどんにかけてみた。味の薄い冷麺のようになったが、とても美味しいとは言えなかった。
食堂を出たが、まだ集合時刻までは時間があった。どこか喫茶店にでも入ろうかと思っていると、地下に降りる階段が目についた。「浴場」という表示があった。
このビルの階上が旅館になっていて、土産物屋や食堂もその付属施設なのだということに、その時初めて気付いた。昨夜はシャワーも浴びていなかったので、お風呂だけ借りられるかどうか、とりあえず地下に降りてみようと思った。
階段半ばあたりから、むっとするような湿気が上ってくるのがわかった。階段もぬめっていて、滑って落ちないよう手摺を辿った。奥の方から機械の作動音が響いていた。踊り場を一つ過ぎて地下一階についても何もなく、まだ階段が続いていた。もう一階下に降りると、浴場の入り口があった。古びた蛍光灯が瞬いているだけで、不潔な印象だった。
中年の女が番台のような所に座っていて、尋ねるとお風呂だけでも入れるとのことだった。中年女は書見台のようなものに載せられた帳面をしきりにめくっていた。何かの記録を確かめて計算している様子だったが、手元の明かりが普通の電灯ではなく、紫外線ライトのような暗い青なのが目についた。あまり気持ちのよいお風呂には見えなかったが、値段も銭湯と変わらない程度なので、汗だけでも流していくことにした。タオルも貸し出してくれた。
服を脱いで中に入ると、浴室は思ったより清潔だった。グレーのタイル張りで薄暗かったが、洞窟の奥の温泉のようで雰囲気があった。湯船は正方形の中程度のものが一つあるだけで、銭湯より規模が小さいくらいだったが、この旅館には丁度良いのかもしれなかった。
浅黒い東南アジア系らしい数人が腰掛けて身体を洗っていた。皆が鍛えられた美しい背中をしていた。ダンサーか何かなのだろう、と思った。
身体を流し、湯につかった。やや熱いくらいの温度だった。湯船のすぐ脇に、湯船をそのまま縮小したような小さな流しがあって、お湯は一度そこにたまり、溢れたものが注ぎ込まれる造りになっていた。その流しのすぐ脇で、外国人がお湯につかっていた。無気味なほど整った顔立ちで、インドの貴族のようだった。
外国人は片手をお湯から出して、流しの方に入れていた。見ると、何か茶色いものがお湯につかっていて、外国人はしきりにそこに手を這わせている。タオルか何かと思ったのだが、よく見てみると猫の形をしていた。生きている猫のわけがないだろうと思ったけれど、ぬいぐるみにしてはよく出来すぎていた。猫は鼻と目だけをお湯から出して、気持良さそうに湯の流れに身を任せていた。外国人はその背中を撫でていたのだ。
視線を感じたのか、外国人がこちらを振り向いた。目をそらしたが、一瞬微笑みかけられた気がした。それから半身をお湯から出して、湯船の縁に腰掛けた。視界の隅でとらえると、作り物のように均斉の取れた体つきをしていて、乳房がほとんどなかった。中性的な不思議な身体だった。
着替えがないので、お風呂から上がっても同じシャツに袖を通すしかなかった。それでもいくらか身体が軽くなった気がした。番台の中年女は、相変わらず青い光の下で計算していた。タオルを返し、ビルを後にした。
まだ少し時間があったが、集合場所の駅前広場に一度戻ってみた。休日の朝にも関わらず、広場には人が集まっていた。商店街のお祭りか何かのようで、出店が並んでいたのだ。まだ準備途中の店が多く、テントを組み立てたり商品を運ぶ人々が慌ただしく作業していた。
地元の名産品を売る店や古本市、ソフトクリームの屋台などが軒を列ねていた。その間を抜けると、噴水の前には小さな仮設ステージができあがっていた。素人くささの残るバンドマンが、音を出して機械のチェックをしていた。その脇のベンチに腰掛けて、時間まで待つことにした。
いくらもしないうちに、近所の住人らしい人々や子供連れの家族が集まってきた。急ごしらえの街が動きだし、あちこちから威勢の良いかけ声が聞こえるようになった。
突然、ステージの方から大きなドラの音が響いた。中国風のきらきらと光る衣裳を身に纏った男が、舞台の上でドラを叩いていた。行き交う人々が振り向き、潮がうねるようにステージの周りに集まり始めた。その人たちに、同じく中国服を着た白人女性が、チラシを配っていた。彫の深い東欧風の顔だちと安っぽいチャイナドレスが不釣り合いだった。わたしに気付くと、にこりと笑みを浮かべてチラシを手渡された。見ると、中国風の雑技を演じる国際的な劇団のようだった。
そうしているうちに、人混みでステージの上が見渡せなくなっていた。立ち上がって肩の間から伺うと、中国服の男女がダンスを始めていた。伝統舞踊のようでもあったが、時折ブレイクダンスのような動作が混ざっていた。音楽はスピーカーから流されているのだが、見せ場になるとドラが激しく鳴らされていた。
ダンスの前景に一人の白人男性が現れ、コマの大道芸を演じ始めた。二本の棒の先にわたされた紐を使い、大きなコマを中空に投じる芸である。白人男性も中国服を着ていたが、芸自体は中国らしくなく、手つきも少しあやしかった。それでも観客たちは、合いの手のように喝采を送っていた。肩車に乗せられた子供が、若い両親に促されて小さな手で拍手していた。
集合時刻が近付きつつあったが、知っている顔は見当たらなかった。こんな人混みの中で待ち合わせできるのか、少し不安になった。考えてみると、思い出そうにも同級生の顔がよくわからなかった。雑踏の中に既に紛れているのかもしれないが、会ってもそれとわかる自信がなかった。
コマの男性が退場し、変わって何人かの若者がステージに現れた。背景で踊っていたダンサーに混じって、舞いを舞い始めた。後から登場した人々はどうも動作がおぼつかなく、大学生風にも見えた。音楽がやみ、ドラの音が一際高く響いた。
若者たちがステージに整列し、ドラに併せて色々なポーズを取るようになった。マスゲームのようだったが、人数が少ないせいかあまり迫力はなかった。二人ひと組になり、片方の膝にもう一人が乗って静止するポーズを取った。組体操のようだった。コマの芸の後で、いかにも素人くさく見えた。しかし観客は大変な盛り上がりだった。
ドラが鳴る度に人々の組み合わせが代わり、体操も複雑なものになっていった。二人一組から三人、四人と増え、さらに人が作った騎馬のようなものの間を、身軽そうな男が飛んでわたったりした。ふと、長髪の青年が目にとまった。どことなく村井くんを思わせた。舞台の上ではっきり顔がわからず、また村井くんの顔も鮮明には思い出せないのだが、クラスこの出し物に関係しているのかもしれない、と思った。周りを見回したが、家族連れが歓声を上げているばかりで、思い当たるような顔はやはり見当たらなかった。
一つの演目が終わる度に、組体操は一回崩れて、人の組み合わせが入れ代わった。中学生の芸のようで、また崩れる度に一番下の演者が苦しそうで、段々見ているのが苦しくなった。観客たちはますます盛り上がっていて、出し物の貧弱さには何も感じていない様子だった。
舞台の上では、ピラミッドが作られ始めた。普通の体操より一段か二段高く見えた。ステージの隅にいつの間にか小さなトランポリンが出されていて、反動を付けた若者が両側から次々と段の上に積み重なっていった。空中で巧みに姿勢を入れ替えるアクションは巧みだったが、どこか動物に無理矢理やらせている芸に見えた。下の段の若者の表情には、隠し切れない苦悶が浮かんでいた。一人飛び乗るごとに、人々は大きな歓声で答えた。その度にドラが打し鳴らされた。走り出したくなった。長髪の青年も中段くらいで必死にこらえていた。あと二人ほどでピラミッドが完成するという時になって、一気に人が崩れた。
ドラが激しく何度も響き、観客の盛り上がりは絶頂に達した。崩れた若者たちは一人ずつ起き上がり側転しながら退場していったが、最後の数人はなんとか起き上がってそのまま歩いて袖に向かった。ロシア風の青年が、順番になっても身を起こさなかった。長髪の青年が肩にかつぎ、何とか引き起こすとひきずって退場した。両手両足が力なくだらんと垂れたままだった。
ステージが終了すると、観客たちは三々五々に散っていった。出店のかけ声が飛ぶだけの、商店街のお祭りの風景に納まっていった。集合時間はとうに過ぎていたが、結局誰一人表れなかった。ベンチに腰掛けて、呆然と人の流れを眺めた。知らない街の駅前で、わたしは一人だった。
と、広場の反対側のベンチに、一人の青年が腰掛けているのが目にとまった。先程の村井くんに似た青年だった。力なくうなだれていて、髪が頬にかかって顔がよく見えなかった。中国風の衣裳からは着替えていて、普通のTシャツにジーンズという出で立ちだった。何気なく歩み寄って、隣に腰を下ろした。
間近でよく見てみると、思ったより若い様子で、わたしより二つ三つ年下に見えた。どことなく面影もあるような気もしたが、やはり別人らしかった。
ふと、この青年に何もかも話してみよう、と思った。はっきり覚えていないことも多かったが、別段順序立てて話すこともない気がした。
この街に住むことに決めた。またウェイトレスをやってもいいし、別の仕事でもいいし、お金を貯めて自分の店を出すのも素敵だと思った。ビルの向こうの空に、飛行船が浮かんでいた。そのエンジン音がいやにはっきりと聞こえた。