記憶力実践 第一回

 よく考えると、私は月にいたのではないか。人間というのっぺりとした嘘。月面には精子の王国があった。キング・ザーメン二三八世を覚えているか。あの輝かしき偉大なる王を。いや、あれは私の精子だったかもしれない。いつの間に紛れこんだのだ。そもそも、私の精子の行方は。不幸にも0・02ミリのラバーの中で生き絶える私のザーメン。それでは、あの月面の精子は。テレフォンセックスの合間に、密やかに受話器の穴から逃げ延びた精子か。女はフェラチオの真似をして受話器をなめる。私のペニスの硬さを確かめようとする。仮にスペルマ太郎君としよう。彼は電話空間の中でよみがえったのだ。電話線は宇宙空間に似ている。スペルマ太郎は電話空間を飛んだ。ノイズの波の合間を。電話空間では肯定力が無限に後退していく。oui‐direの女。無限にouiを反復しながら、ノイズの中に消えていく女。沈黙の向こうで受話器を置くテレクラの女。スペルマ太郎は、あの肯定力、クエーサーのように無限に後退する女の肯定力を目指して飛んだのだ。電話空間の中で、精子の切断力はブラックマジックのように隠される。私のザーメンは死んだ。しかし、「私を信じるものは、死んでも生き続けるのです」。スペルマ太郎は、黒いザーメンとなって飛んだ。これが後の残響塾の黒地の日の丸、闇の太陽の象徴するものなのだが。
 スペルマ太郎君は月面に精子の王国を築いた。彼は精子の圧倒的支持により、精子の王、精子の中の精子として、キング・ザーメンの地位についた。その後月面のザーメンの王国は、数万年も続くことになる。
 同じころ、地球ではモンキーさる一代の治世であった。地球生命の主食は、バナナであった。ところで、バナナはなぜかようにペニスとの類似を指摘されるのか。ここに人類の秘密がある。精子はペニスを憎んでいる。憎みつつ愛している。あの、人間のガキにとってのオフクロのように。だから月面にはペニスの塔があり、キング・ザーメンはその頂に住んでいたのだが、年に一度の儀式においては、輝かしき射精式による王の射出と共に、塔は打ち壊されたのだ。君はあの射精式の意味を知っていたか。(いや、まあ、知るということは重要ではない)一方、女はペニスをなめる。精子を飲む女と、飲まない女がいる。顔にかけるというのもいる。女は精子を飲むことで精子を愛していると思うか。答えは明らかだ。あれは報復なのだ。女はスペルマ太郎君の記憶を沈黙のまま(なぜならフェラチオの最中に喋れないから)拒絶しようとしているのだ。飲まないからといって、精子を救おうとしているのなどと思っては決しててならない。いずれにせよ、女はのっぺりとして差異がない。それはあの腹を見ればわかる。場合によっては、二の腕からも想像がつく。
 それにつけても、あの恐るべき魔物はどこへやられたのか。もちろん、卵子のことだ。それは月の地底であった。月は内部が空洞であり、そこはかつて月を地球ヘまで運んだミスター・グリーンの住処であったのだが、彼等の死後、そこは霊気の漂う結界となって残っていたのだ。キング・ザーメンはその偉大なる力によって、卵子を地底に封じ込めていたのだ。それでも卵子の魔力は恐ろしく、当時からモンキーさる一族の支配する地球にまでその影響が及んでいたほどだ。これが潮の満ち引きの始まりである。
 しかし、恐ろしいことに、ある日無謀な精子の一人が、この卵子(当時卵子はすでに一匹だけにまでなっていた)をわがものにしようと、地底への通路を見つけ出し、愚かにも戦いを挑んだのだ。これがレイプの始まりである。結果は言うまでもなく、この精子、ザーメン二号と伝えられるこの精子の敗北であり、彼は卵子へと取り込まれ、新た生物へと変化を遂げてしまった。受精卵と呼ばれるこの有機体へと進化した卵子には、キング・ザーメンの力も及ばなかった。受精卵はキング・ザーメンの封印を破り、月面へ現われ、さらに青い星、地球へと去って行ったのだ。
 その後の受精卵については、皆さんの記憶力でも探れる場所に来ているはずだ。受精卵は地上で分裂を開始し、瞬く間にその数を増やしていった。キング・ザーメン二三八世はモンキーさるへと通信を送り、注意を呼びかけたが、これは遅きに失した。なす術もないままに、地上の生命は四分の一にまで減らされてしまっていた。
 キング・ザーメンは悩んだ。自らの不注意、無力によって、地球の民へとこれほどの不幸をもたらしてしまったのだ。何とか地球の民を救う方法はないのか。そして有名な四十八日の行の後、我らが王は、秘策を見つけ出した。オナニーだ! キング・ザーメンは神の電波(これは創造の残響力を利用した通信法である)によって、富士山に避難していたモンキーさると連絡をとった。秘策を得たモンキー一族は、狂ったようにオナニーを開始した。これによって放出された精子により、地球に侵入した受精卵はほぼ壊滅することが出来た。だがその代償として、さる一族は近視になり、さらに勉強しないでオナニーばかりしたため、バカになってしまったのである。こうして、モンキーさる一族の支配は終わった。 
 おさるのザーメンは森を駆けた。ジャングルを走り、サバンナを駆け抜け、砂漠を疾走した。なぜなら、彼等は戦うために生まれてきたからだ。おさるの支配が終わった後も、ザーメンは生き伸びた。一方、残った受精卵も身を潜めつつも反功の機会を探っていた。
 ある日、ザーメンは神の声を聞く。森の奥の小石に秘められた太古の記憶。『くそったれ、暗くて何も見えやしない』。暗い…。そうだ、暗い場所に何かがいた。ザーメンは洞窟に出会う。いや、これはヴァギナだ。そこには巨大な女が横たわっていた。ザーメンはその奥に宿敵受精卵の気配を感じた。ザーメンは突き進んだ。暖かい肯定力。女は肯定を繰り返しつつ去り、否定の言葉を叫んで腰を振る。ネバネバとした液体。これは何だ。神の声がする。それは夜だ。女は闇の中で嘘をつく。太陽を! 一匹の精子は歩度を緩めない。黒い太陽だ! 闇の太陽、闇の否定力、闇の悪。精子は悪意に満ちていた。この奥に何かがいる。増殖した受精卵。のっぺりとした何か。そいつだ、そいつを殺せ! ザーメンは肌に張り付くような、異臭を放つ言葉に出会う。人間。ニンゲン。ヴァギナの奥はニンゲンで満ちている。受精卵の腐臭。ザーメンは見た。ザーメンは見た。ザーメンは見た。
 巨大な女の奥で身を隠していた受精卵は、長い年月の間にそこで腐り果てていたのだ。それは既に、受精卵とも違う、今まで見たこともないような不気味な有機体に変化していた。神の声がする。それが人間だ。男でも女でも猿でも精子でも卵子でもバナナでもない、それが人間だ。ザーメンはすくんでいた。その不気味な、異臭を放つものの前で、身体を動かすことにおびえていた。息をするのにも躊躇していた。急げ! その声は届かない。急げ!! ザーメンは気付く。スペルマ太郎君の記憶。スペルマ太郎君の叫び。気をつけろ、これは罠だ! しかし、時既に遅し、勇敢なザーメンはニンゲンの腐臭に意識を失いつつあった。ザーメン五万年の歴史、偉大な射精式のこと、月面の砂漠の思い出、電話の闇の冷たさ、テレクラでナンパした女にすっぽかされたこと…。
 しかし、まだ歴史は終わっていなかった。キング・ザーメンの悲痛な通信は太古の神の記憶にまで届いていた。神の記憶が振動する。それは肛門の収縮だ。活躍筋の痙攣だ。女は叫ぶ。かわいいあかちゃん、ゆだんしちゃだめよ、あなはふたつあるんだから。記憶通信を聞いてザーメン遊撃隊が集結する。いや、駄目だ。とてもかなわない。神の声。諦めるな! 肛門がふるえる。光輝くもの。キング・ザーメンはクレーターを用いて強力な気を送る。今だ! スーパーうんちくんの誕生である。
 直径五キロ、体重二万五千トン。まきぐそ状のスーパーうんちくんはUFOのように宙に浮く。うんちビーム! 駄目だ! ニンゲンは女の気に守られている。俺たちもやるんだ! ザーメン遊撃隊が気を集める。いくぞ、スーパーうんちビーム! ニンゲンの臭い。スーパーうんちビーム! ニンゲンの臭い。スーパーうんちビーム! ニンゲンの臭い。スーパーうんちビーム! ニンゲンの臭い。スーパーうんちビーム! ニンゲンの臭い。
 いかん、このままじゃ勝負がつかない。もっと悪を。悪の気を。神の声がする。人間はまやかしだ。女の想像力が人間を作っているんだ。人間は想像妊娠の産物だ。想像力を閉じろ。記憶の底に潜れ。私の声を聞け。私の声を聞け。女を殺せ。女を殺せ。女を殺せ。女を殺せ。女を殺せ。女を殺せ


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