記憶力実践 第二回

 「くそったれ、暗くてなにも見えやしない」。するとそこに光があった。神はその光を見て、良しと言おうとしたが、淡がからまってうまく言えなかった。そうこうするうちに神はその罵り言葉によって滅ぼされ、言語は増殖を始めた。ところで、この言葉はゲーテが死ぬ前に言ったセリフと同じだが、この時は宇宙が創造されなかった。創造も難しい。いずれにせよ、ゲーテも神もこのセリフとともに息絶えた。
 薄れ行く意識のなかで、神は光を昼と名付け、やみを夜と名付けた。が、この命名行為はうまくいかなかったようだ。というのも、やみは後にある種の励起状態の集合として成長し、すなわち悪の力によって満たされたが、夜は女のヴァギナの内部にしか残らなかったからだ。夕となり、また朝となった。第一日である
 二日目、神の告別式が行われた。告別式は午後二時からしめやかに営まれたが、この時点で既に天と地が別れ、また地の中に海と陸が生まれていた。よって、告別式には天、地、海、陸が参列した。喪主は光であった。一方、やみは既に無を目指して集合しようとしており、それどころではなく、夜はヴァギナの製造に忙しかった。昼については、かろうじて神の命名が生きており、この者は光とともに喪主の座についていた。
 ところで、言語の増殖は極めて急速に進んだため、地面が誕生したとき、まだ微かに神の断末魔が響いていた。地面には神の言葉が届いた。くそったれ。よって、地面はこの時点で既に二つに弁別されるようになった。臭いものと、臭くないもの。臭いものは「くそ」と呼ばれ、臭くないものは「たれ」と呼ばれた。その結果、否定力の切断面は、「っ」と呼称されるようになり、この用法は以後約二億年続いた。
 さらに、くそはすぐさまに「くそババア」「くそジジイ」「くそガキ」などを生みだし、一方でたれは、「はなたれ」「たれながし」「焼肉のたれ」などを生み落とした。(「まきぐそ」はまだこの時には分節されなかった。おそらく「くそ」と「ぐそ」の差異によるものと思われるが、後の宇宙の記憶の中で重要な役割を演じることになった「まきぐそ」の誕生には、まだ時を待たねばならなかったのだ)
 それから約百万年。地上ではバスが走っていた。もちろん、ユニットバス、バスクリン、バスドラムなども既に誕生していた。しかしながら、この時点の地上には男も女もおさるも、言うまでもなく人間も存在していなかったので、バスにはくそババアとくそジジイとくそガキだけが乗っていた。くそババアは車掌、くそジジイは運転手、くそガキはただ座席に座っているだけ。なぜなら、くそガキは免許を持っていなかったし、なによりまだ子供だったから。くそババアとくそジジイは時折運転を交代したが、くそガキだけは何もしなかった。そのうちくそババアとくそジジイは、自分たちだけが運転し、くそガキが車内ではしゃぎ回っているのに納得がいかなくなったきた。ジジ、ババは搾取されている! そう感じた二人は、自らマルクス、エンゲルスを名乗り、プロレタリア独裁を目指して革命運動を開始したが、寄る年波とガキのパワーには勝てず、くそババアはくそガキの右ストレートにより3ラウンドKO、くそジジイは腕ひしぎ逆十字固めによって見事に敗れ去った。とりわけ、全治一ケ月の重傷を負ったくそジジイは、これ以後対話路線へと転向し、運転を続ける代わりに、くそガキから料金を徴収することを提案した。くそガキはこの案をのみ、くそジジイはこの料金のことを運賃と名付けた。もちろん、この言葉からくそガキが連想するものといったらただ一つしかない。うんちの誕生である。
 うんちは瞬く間に分節を開始した。それはまず、固さの度合によって行われた。最も固いものがうんこ、次いでうんち、やや柔らかいものがうんにょ、すっかり液状になってしまっているものがうんすいである。またうんちは、英語ではソフトと呼ばれた。うんちは生きがよく、分裂に分裂を重ね、その数を増し、地上での覇を確実なものにしていった。
 一連のうんち一族のうち、うんすいだけは海のように地表に広がり、分裂することはなかった。その代わりその内部には複数の意識が生まれ、うんすいは常に独り言による対話を続け(これはあのミスター・グリーンの意識構造と酷似している。うんすいはミスター・グリーン地球来訪のはるか以前よりこの内宇宙的構造を獲得していたのである!)、他者との関わりを避けてうんち一族の主導権争いからも一線を画していた。他方、うんこ、うんち、うんにょの三者は地上を三分して三つ巴を交え、いわゆる三国史時代の主役を演じた。
 柔よく剛を制す。三者のなかで、当初最も勢力を広く持ったのはうんにょであった。うんにょがその本拠地として城を構えていたのは、アパラチア山脈の中腹である。前線と異なり、アパラチア山脈付近でのうんにょはすっかりだらけていた。硬派なうんことは対称的に、うんにょは軟派であった。戦いの合間を見つけては口説く対象を求めていたが、当時の地上にはそれにふさわしい有機体は見当たらず、中でもうんにょの王、うんにょ皇帝は毎日悶々としてオナニーばかりしていた。
 ある日とうとう、うんにょ皇帝は自らの想像の獲物を地上に実現すべく、偉大な計画を実行に移すことを決意した。うんにょ皇帝は最前線の兵士を除く若いうんにょを集め、アパラチア山脈一帯に整列させた。山々は生柔らかい物体によって埋め尽くされた。皇帝は上空から綿密な指示を与え、うんにょの形を整えていった。さながらマスゲームのように。しかし何度やり直しても皇帝はいかめしい面持ちのままゆっくりと首を横に振るばかりである(チンポビンビンのくせに!)。うんにょは再び整列をやり直す。皇帝が首を振る。この繰り返しがおおよそ半年も続いたころであろうか。皇帝はとうとう静かに、しかしはっきりと、首を縦に振った。うんにょ隊長が合体の号令をかける。この時、うんにょの集団は縦二百キロ、横十キロばかりの細長い形態をなしていた。これだけのうんにょが合体したのである。巨大の茶色い物体は、しかし、ナイスバディであった。すなわち、これが後々数億年にわたって女と呼ばれる有機体の始まりなのである。女とヴァギナは互いに呼び合い、女の股間には裂け目が生まれ、一本の柔らかな洞窟ができ上がった。皇帝は喜びいさんでこの割れ目に潜り込んだが、その内部は既に夜に満たされていた。皇帝はこの夜によって、一瞬のうちに分解され、すさまじい快感の中で死に至った。こうしてうんにょの覇権は幕を閉じ、腹上死が始まった。そしてうんにょ皇帝は、想像力によって身を滅ぼしたものの第一号として宇宙の記憶にその名を刻まれることになってしまった。
 地上はうんちとうんこにより二分された。両者のあいだにはいつしか無言の不可侵条約が生まれ、この安定状態は約二千万年続いた。その間にうんち国では民主主義と科学技術が発展し、遂に地球外ヘとうんちを送り出すまでに至った。うんちは次々と星星を占領し、とりわけ木星をうんちの宇宙における拠点としたが、この間うんこは古い伝統を守り続け、やがてうんこの一部はがんことしてうんこからその袂を分かつまでになった。
 うんちの大半が木星に移り住み、うんこと頑固が分かれたころ、ふとうんち一族らは自らの肉体が変化しているのに気付く。お肌が乾燥しているのだ。神経質なうんちは乳液等で対抗しようとしたが、著しい効果はなかった。そうこうするうちに、うんち、うんこ両者の表面はさらに乾燥していった。
 うんこ国では、うんこらが聡明な一徹オヤジの判断をあおいだ。一徹オヤジは気付いていた。二千万年もの間日の光に照りつけられていた彼らの肉体は、いつの間にか干からびつつあったのだ。このままではいけない。どうすればよいのか? 一徹のオヤジさん、いかんとしやしょう? 一徹オヤジは考えた。考えに考えた。オヤジの額には皺が一本、また一本と増え、その顔を見つめるうんこ一族の顔にも脂汗の筋が増えていく。そうや! ど、どうするんで、オヤっさん。うんちの奴らと違って、オレたちにはここより他に行くところがねえ。それなら、シえルターを作るまでよ。シえルターでやすか? おうよ、まあ、平たく言やあ、隠れがだね。よっしゃあ! そうと決まりゃあ話は早え。シえルターとやらをこさえるんだ!
 シェルターの建設地は、うんにょ皇帝の死後放置されたままのアパラチア山脈の女と決定した。忌まわしきヴァギナの夜に近く居を構えれば、うんちの攻撃を未然に防げるとの配慮からである。こうして、最初の肛門が完成した。女に便秘が多いのは、この時収容されたのがうんこ、すなわち最も固い種類のうんち類であった為なのである。
 一方、地上に残っていたうんち国の民は、生来うんこより軟弱な性質の上、その拠点を木星に移して久しかったため、乳液を塗るぐらいしか干からびに対して処置を施していなかった。事態の重大さに気付いたときには、もうほとんど土に帰りかけた状態にまで至っていた。こうなっては退避もままならず、結局地球に残ったうんちは、太陽光線の元に絶滅してしまったのである。
 

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