今年もまた、性懲りもなく大学に入学してきやがった新一回生のクソヤロウども。毎年毎年、春になって大学構内に足を運ぶ度、このクソいまいましい一回生の面を眺めて、煮えたえぎるような怒りで胸の中がいっぱいになる。衰弱しきった顔で分厚いチェック地のシャツ、丈の短いジーンズの男が、昨日まで三つ編で畔道をチャリンコで走っていたような女とにこやかに談笑していると、脇端に回し蹴り叩き込んだ上顔面にザーメンぶっかけてやりたくなるが、自慰行為の消費エネルギーは四百メートル全力疾走のそれに相当し、且つ貴様らはそのエネルギーにも相当しないため、ついつい自粛してしまって、その度に私の体内にザーメンが蓄積されていってしまい、そこで私はそのへんでナンパした女の体内にそれを注ぎ込もうとするのだが、これは超薄ラバーにはばまれて阻止されてしまい、またこの使用済みコンドームのしぼんだ様子の何と哀れなことか!
 しかしかく言う私もかつては一回生であったではないかとの声もある。するとこの私の激昂は、兄弟喧嘩において兄の圧倒的暴力の壁の前になす術もなく絶望した弟の「おまえの母ちゃんデベソ!」という半泣きの叫びと相違ないというのか。いや、違う。私の母はデベソではない。しかし、幼き日の私はデベソであった。デベソといっても、直径三センチ、高さ一センチといった巨大なものではなく、せいぜい高さ三ミリほどのかわいらしいものであったが、幼少の私は自らのへそが他人のそれとの間にいささかの差異を形作っているという事実に悩み、遂にそれが選ばれたもののみに与えられる聖なる証であるという啓示を得て、自分の背負った十字架の重さに恐れおののいたのであるが、成長とともに次第にへそは引っ込み、今となっては一般のそれと変わらぬ外観を呈するまでになって、かのルネ・デカルトの思想の正しさを改めて追認せざるを得ない思いである。ルネ・デカルト『方法序説』第三部第二項、「二十過ぎたらただの人」参照。
 しかし、この事実に気付いたのはデカルトが最初ではない。時は寛永八年、小林一茶齢十一、町の傘屋に丁稚奉公に出されていたころのことであった。毎日の厳しい仕事に疲れきり、早朝の拭き掃除に手もあかぎれる冬のある日、店の前で掃き掃除をする一茶の前で、羽を傷つけた一羽のスズメが地に落ちた粟粒をついばんでいた。一茶がじっとその様を見つめているのに気付き、スズメは面を上げて一句、
  石橋を 叩いて壊せ ほととぎす
 故に、この真理に最初に気付いたのは、厳密には一茶ではなくスズメである。
 以来、幾百年の歳月が流れたが、寄せては引き、また寄せる一回生の波は変わらぬままである。するとまた来年も、一回生の波は打ち寄せるというのか。素朴帰納法によればその通りである。しかし、ここでヴィトゲンシュタインの上げた例を取り上げよう。ある家で、七面鳥が飼われていた。毎日朝になると、七面鳥は餌を与えられた。次の日も、また次の日もそうであった。この七面鳥は素朴帰納論者であったので、十分な資料の集められた今、朝には餌が与えられる、という一般理論を導き出した。しかし、クリスマスの朝…。惨い話である。
 しかし、この話には続きがある。自らの死を悟った七面鳥は、天をあおいで祈った。天にまします我らの父よ、なぜイエス・キリストの生まれたこの日に、私は締め殺されねばならないのでしょうか。そこで七面鳥は一つの啓示を得て、その首をつかんでいた人間をくちばしでつき殺し、町に出て総ての七面鳥の力の結集を呼びかけた。この七面鳥が、有名なカール・マルクスである。
 七面鳥は特別の料理のようであるが、実際は鶏よりまずい。雨の降る日は天気が悪い。いぬが西向きゃ尾は東。


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