そんな訳で、私は死んだ。しかし、私は偏在者であるため、死んでもなお記憶の中に呼び戻された。「私を信じるものは、死んでも生き続けるのです」。偏在者の死は反復であり、それ故、あらゆる主体は記憶の内部をシャッフルする。これが転生の正体である。交合の光が私を引き付けるようであったが、それは人類最終戦争の輝きであったかもしれない。キング・ザーメンともすれちがったかもしれない。しかし確認すべくもなく、奇蹟のようにそれは擦れ違い、私は復活した。そして、この奇蹟の内部に総ての未来と呼ばれるものが記されていることを知った。
ガリレオ・ガリレイが誕生し、自転が開始していたが、一方でフッサールは既に生まれ、またヨーロッパ諸科学の危機と先験的現象学が迫っていたので、ガリレイの自然の数学化が行われた。これにより、幾何学が発生した。直線や点が生まれ、三角形、四角形が乱れ飛んだ。角さん、助さんが現われ、水戸黄門も誕生した。うっかり八べえも発生し、これによりうっかりが始まった。すなわち、宇宙に不確定性が含まれた。さらに核が生まれた。同時に、核拡散防止条約が結ばれた。よかったね。
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