隣に外人が越してきた。おなら外人だ。

 おなら外人はおならで外国から飛んできたそうだ。
 おなら外人は色が白くて、髪の毛が金色で、背が高く、おまけに黒目の部分が青色だ。二番目までボタンをはずした胸元からは、髪の毛と同じ金色でもじゃもじゃの胸毛がのぞいて、すね毛も腕の毛もふさふさだ。外人は日本人の事をイエローモンキーとか呼ぶそうだけれど、僕の見たところ、外人のほうがよっぽど猿に近い。
 最初におなら外人を見た時は、あまりに立派な体躯に少し恐い気がした。僕と彼が仲良くなったのは、近所の銭湯で一緒になった時だ。こっそり彼の股間をのぞくと、そこの毛の色も金色なのについ見とれていると、彼は僕に気付いて、にかっと笑い、屁を「ぶばらっ」とこいた。僕が笑いを堪えられずに吹き出すと、おなら外人も大きな声で笑った。
 おなら外人がタオルをしたまま湯船に入ろうとするのを注意すると、彼は
「アリガトウ」と言って笑い、また「ぶばらっ」と屁をこいた。風呂の水面に巨大な半円が出来て弾けた。
 おなら外人は大学で経済の勉強をしている。戦後急成長した日本の経済学を学び、将来は日本と母国の掛け橋になりたいそうだ。
 おなら外人は日本の文化にもとても興味を持っている。彼の部屋には掛け軸が掛けてあって、こたつに座椅子で暮らしている。僕よりも日本人らしい。おなら外人は三味線が得意で、僕はギターで彼とセッションした。
 おなら外人はサツマイモが大好きで、いつもバターを塗って食べている。彼の国では皆がそんな食事で、バターを一日一家で一キロも使い、どこに行くのもおならで飛んでいくそうだ。日本では考えられない事だ。
 そんな彼も、日本では飛ぶのを控えている。彼いわく、「郷ニ入ラバ郷ニ従エ」ということだ。それでも時々、体がむずむずするらしく、夜中にこっそり空を飛んでいる。彼が飛ぶ時は「ぶっぶぶぶーっ」とすごい音がして、近所一体が黄色くなる。もちろん、強烈な匂いだ。彼は気持ちよく飛び回っているが、そのうち近所から苦情がくるようになり、それも出来なくなってしまった。
 僕は一度だけ彼の背中に乗って空を飛んだ事がある。もちろん、人が寝静まった夜中の事だ。飛んでいる本人はちっとも匂わないし、冷たい夜風を切り裂いて飛ぶのは最高に気持ち良かった。僕としてはもう一度乗せてもらいたかったが、二人乗りは危険で禁止されているそうで、一緒に飛んだのはその時一度きりだった。
 おなら外人には好きな子がいる。同じ専攻の日本人の女の子で、小柄だけれど目が大きくて、ロングの髪がとっても奇麗な素敵な子だ。おなら外人は大きな体に似合わずシャイで、彼女をデートにも誘えない。夜、僕の部屋に来て二人で飲む時、彼はいつも膝を抱えて、彼女の写真をじっと見つめて赤くなっている。僕がからかうと、「チョット酔ッタダケネ」と言って照れる。外人はすぐに女を口説くと聞いていたが、彼は違うようだ。いくら急っついても自分から告白しようとしない。あんまりもどかしいので、とうとう、僕が誘って三人で映画に行くことにした。
 彼女もとても楽しそうで、おなら外人は始終上機嫌だった。ところが、ここで大事件が起こった。彼女がちょっと頬を赤らめて目を付せながら「前から素敵な人だと思ってたの」と言った時、彼は喜びのあまり、「ぶばらっ」と屁をこいて五メートルくらい飛び上がってしまったのだ。彼女はしばらく呆然と空を見上げ、それからはっと匂いに気付いて鼻を覆い、それから止める間もなく人ごみの中へと走り去ってしまった。チラっと見えた横顔は、涙で濡れていた。
 それから、おなら外人は部屋にこもるようになった。僕が元気付けようと遊びに言っても、何を言っても生返事だ。あれだけ熱心だった勉強も手がつかない。そして、彼はおならをしなくなった。
 大好きなサツマイモも断った。彼は日に日に痩せていったが、下腹部のあたりだけは何故か異様に膨らんできた。僕は心配になって食事を作ったり、少しはおならをするように勧めたが、彼は頑として言う事を聞かなかった。彼の頬はこけ、かわって下腹部はカエルのようにぷっくりと盛り上がっていった。
 ある晩、僕はバイトで遅くなり、家路を急いでいた。丁度、下宿まで十メートルほどに来た時だろうか。目の前がぱっと明るくなり、続いてすさまじい轟音とともに僕は後方に吹き飛ばされた。しばらくして瓦礫の中からやっと身を起こすと、僕達の下宿は跡形もなく吹き飛んでいた。木っ端微塵だった。
 警察や消防が原因を調べたが、結局ガス漏れということで決着が着いた。おなら外人の姿はとうとう見つからなかった。
 あの時、爆発の瞬間、何かが視界の隅を空へ向かって飛んでいくのを見たような気がする。それも僕の記憶違いかもしれない。
 おなら外人の好きだった彼女には、彼は故郷に帰ったと告げた。彼女は少し気まずそうに視線をそらし、「そう」とだけ言った。彼は故郷の星になるんだ、と僕は彼女の横顔に言った。彼女はあまり聞いていないようだった。
 おなら外人は死んだ。

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